Allegro Tranquillo

邦人クラシック、アニメ等

トリスタン

トリスタンといえば、クラシックファンがまず思いつくのはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」。オペラ全曲はとてもじゃないけど見たことがなくて、前奏曲しか聴かないけど。前回、ショーソンの「アルトゥス王」をワーグナーっぽいと書いたけれど、本家はまた別格にねちっこい。これは調性音楽も崩壊しますわ。

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」

ところで、恥ずかしながらトリスタンが円卓の騎士の一員に数えられているということはFGOで初めて知った。トリスタンとイゾルデの伝説がランスロットとグィネヴィアの関係に被っているという点にも改めて気付いた。その辺を示唆するのが、イギリスの作曲家アーノルド・バックス(1883~1953)の交響詩「ティンタジェル」。ティンタジェルとは英コーンウォール地方にある地域の名前であり、アーサー王ゆかりとされる古城の名前でもある。トリスタンとイゾルデの舞台もまたコーンウォールということで、作曲者はこの交響詩の中にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」中の「病めるトリスタンの動機」と呼ばれる半音で下降するフレーズを引用し、アーサー王とトリスタンのつながりを音楽的に表現している。

Bax, A.: Symphonies Nos. 1-7 / Rogue's Comedy Overture / Tintagel

Bax, A.: Symphonies Nos. 1-7 / Rogue's Comedy Overture / Tintagel

どうでもいいけれど、ティンタジェルと千反田えるってちょっと似てるよね……。

越天楽

近衛の曲ということで代表作である「越天楽」を聴いた(細かいことをいえば編曲だが)。本当は「大礼交声曲」を聴いてみたかったが、ロームのSP音源復刻しか存在しないようだ。歴史的音源にはあまり興味がないので……。

日本管弦楽名曲集

日本管弦楽名曲集

近衛秀麿(編曲)「越天楽」(1931)

「越天楽」は雅楽の名曲「平調 越天楽」を管弦楽編曲したものである。『音楽家近衛秀麿の遺産』の三枝まりの解説によれば、元々雅楽に傾倒し、雅楽の採譜をしていた弟・直麿に昭和天皇即位の奉祝音楽会のため宮城道雄とともに編曲を依頼した「平調「越天楽」による箏変奏曲」(1928)が元となり、その後直麿が管弦楽のみの編曲にした版、それを秀麿が現在の形に仕上げた版といくつかの段階を経ているという。

まずやはり注目すべきは雅楽の楽器(三管・三鼓・両絃)を洋楽器に置き換えた点。対照は次の通り。

打楽器は割と直接的な置き換えだし、龍笛なども音響特性が近いものを選んでいるが、笙をヴァイオリンの分奏にしたり、箏をピアノにしたりという意表をついたセレクトは実際の楽器の響き方をよく知る指揮者らしい発想という気がする。

もう一つの注目点は、これは直麿の仕事なのだが、採譜の際管楽器のファとドの音を半音上げて理論的に正確なファ# とド#にしたことである。この点をめぐって直麿は兼常清佐と論争を繰り広げたという。

この点を楽理的に説明するには知識も教養も足りないのだが、あえて理解の範疇で語ると次の通りである。本来理論的には、平調はミの音を主音とする律音階、すなわちミ-ファ#-ソ-ラ-シ-ド#-レの7音で構成されている。ところが1930年代には(そして今でも)旋律を担当する管楽器の実際の演奏ではファとドは半音下がって聞こえた。それは都節音階(ミ-ファ-ラ-シ-レ)などの俗楽の影響あってのことだろう。兼常は実際の響きを記録することにこだわったが、ロマンチストの直麿はいにしえの響きを復活させるため、理論の方に合わせて記譜した……という次第である。

お気付きのように律音階はドリア旋法と同じ構成だ。この曲がソ連で初演されたとき「フランス印象派の影響を受けている」と評されたことを近衛は笑い話として語っているが、旋法的な音階、笙を模した弦の5度堆積の響きをそのように受け取られたというのはありそうなことである。日本人が聴くと一発で「正月っぽい」となるのだが。

曲の構成はコーダ部分以外原曲に従っており、ABCABコーダとなっているが、転調やテンポの変化がないのでこのような分析はあまり意味がないかもしれない。近衛は後半の繰り返しのABは現今の演奏では省略した方がいいかもしれないとスコアの前書きで書いている。

とにもかくにもその後に続く雅楽とオーケストラという組み合わせに先鞭を付けたという意味で歴史的な作品といえる。

大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』

日本最初期の作曲家に続き、日本最初期の指揮者ということで、近衛秀麿の伝記を読んだ。

近衛秀麿―日本のオーケストラをつくった男

近衛秀麿―日本のオーケストラをつくった男

近衛の幼少期から音楽を志した青年期、初の渡欧と日本人として初めてベルリン・フィルを指揮したこと、師・山田耕筰との関係と彼と袂を分かった立ち上げた新交響楽団、弟・直麿の採譜した雅楽からオーケストラ版「越天楽」を完成したこと、フルトヴェングラーストコフスキートスカニーニといった当時の超一流指揮者との交流など、帯文通り人生のどこを切っても波瀾万丈の人生が描かれている。あまりに当時の他の音楽家と隔絶したキャリア過ぎて、逆に日本の音楽史につなげるのが難しいとすら感じる。

あえて苦言を呈せば、面白すぎる人生行路のせいで交友関係や女性関係、新響はじめオーケストラとの関係が主な焦点となり、音楽自体の言及がやや弱いことか。音楽自体に関するところは基本近衛本人の著述からか、関係者のインタビューからの記述にとどまっている。正直、政治的な部分はあまり関心がないので後半は流し読みしてしまった。戦後の没落があまりに悲惨だったこともあり。そのうちもう一度真面目に読みたい。

以下、個別メモ。

  • 指揮の授業を受けるのはナンセンスというセリフが作中に登場するが、近衛がアカデミックな音楽教育を受けたのはシテルン音楽学校で指揮と作曲を学んだ数年間くらい、あとは独学らしい。学びはじめた翌年にもうベルリン・フィルを振って自作を披露しているわけだが。

  • 近衛は無数の演奏会に接することで指揮を学んだが、もう一つの学習法が、オーケストラスコアを延々書き写すことだった。学生時代、南葵文庫やはるばる九州帝大の榊保三郎所有のスコアを求めて訪れたことからはじまり、後にはフルトヴェングラー、エーリヒ・クライバークレンペラーの書き込みスコアまで。後者はよくOKしたなという気もする。

  • その特権的な地位と引き替えに、生涯を通じて準公人みたいな扱いだった近衛。学生の時分に東大管弦楽団1920年創設)などアマチュアオーケストラで指揮者をやっていたのまで新聞に取り上げられているのは流石にびっくり(オーケストラが珍しい時代だったとはいえ)。あと貴族院議員を指揮者と兼任していたというのも。実際務まったのだろうか。

  • 新響創設初期の話で「それまでフランス、アメリカ、イギリス、ロシアと、ピッチの異なる国の楽器を使っていたために不協和音が生じていた。それを統一するために、木管楽器を入れ替えることにした」(p.161)。ピッチのレベルでそんなことが起きるのか。世界基準がなかったのだろうか。

  • 近衛と関係ないが、山田が1930年「あやめ」上演のため渡仏した際、自作とともに菅原明朗「祭典物語」の上演を予定していたというのが興味深い。元々自分以外の邦人作品も取り上げていた山田らしいといえばそうだが、あまり菅原と縁がなさそうなので意外(結局計画は頓挫した)

  • コロナ事件で退団した新響メンバーに伊藤昇の名前があってオッと思う。

  • 1939年、尾高尚忠がベルリン・フィルを指揮したというのははじめて知った。プログラムは平尾「古歌」(古代讃歌のこと?)、尾高「組曲 第2番」、近衛「越天楽」、芝祐久「雅楽の動機による印象」(祐久だと若すぎる気もするので祐泰か?)、尾高「蘆屋乙女」。本書では日本人として近衛、貴志康一に続く3人目のベルリン・フィル客演指揮者となっている。録音も含めると山田もいるので4人目か。

ランスロット、モードレッド

円卓つながりで、次はランスロットとモードレッドが登場するショーソンのオペラ「アルテュス王」(1886〜95)。

Chausson : Le roi Arthus

Chausson : Le roi Arthus

  • アーティスト: Gösta Winbergh, Gérard Friedmann, René Massis, Gilles Cachemaille, Gino Quilico, François Loup, Armin Jordan & Nouvel Orchestre Philharmonique Teresa Zylis-Gara
  • 出版社/メーカー: Warner Classics International
  • 発売日: 2007/01/09
  • メディア: MP3 ダウンロード
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作曲者本人による台本だが、大筋はマロリー『アーサー王の死』などに基づくスタンダードな(?)アーサー王伝説。サクソン人との戦いに勝利しその名をとどろかせるアーサー王と円卓の騎士だったが、ランスロットは王妃グィネヴィアと姦通し、その現場をモードレッドに見つかり傷を負わせてしまう。ランスロットはグィネヴィアとともに逃げるが、生き延びたモードレッドから真実を聞いたアーサー王に追い詰められる。グィネヴィアは自死を選び、瀕死の傷を負ったランスロットアーサー王は許しを与える。

音楽的にはショーソンが心酔していたというワーグナーの影響を濃厚に感じるけれど、第一幕への前奏曲の歯切れのよい主題など、随所にショーソン独自の創意も光っている。

日本の吹奏楽Ⅴ 大沼哲作品集

大沼の曲を聴いてみようとしたのだが、現在入手可能なのは吹奏楽のこれ1枚だけらしい。山田があれこれ取り上げられていることを思うと悲しい。

行進曲「立派な青年」(1925)

行進曲「皇軍の門出」(不明)

行進曲「進む日の丸」(不明)

行進曲「伸びゆく日本」(不明)

行進曲「大建設」(不明)

不明となっているものはタイトルからうっすら読み取れるとおり、いずれも1930〜41年の日中戦争下で書かれたと思われる。

さてその音楽はというと……吹奏楽にもマーチにも暗いのでそのジャンル内での評価は分からないが、どれも手堅くまとまっていて、曲によっては歌心を感じるものもあるけれど(「大建設」は本来合唱付きらしい)、基本的には何の変哲もないマーチかな……という印象を越えなかった。

大行進曲「ツラン民族」(1929)

これはwwwと思わず草を生やしてしまったが、始まりこそ壮大だが主部に入ると上海雑伎団のテーマみたいな大陸的な民謡メロディーが騒がしいシンバルに乗ってうねうねと鳴り響く。続いてどことなく和風の和音主題が奏され、もう一度ずつ主題を繰り返して閉じる。本CDの中では異例なほど民族的要素を打ち出した作品。ツラン民族というのはアジア民族統一というイデオロギーの補強のために持ち出された架空の民族集団だそうだが、よくその方針に応えている(と褒められても何だろうが)。

誓忠行進曲(1925)

大正天皇銀婚式のために委嘱された曲で、吹奏楽版のほかに管弦楽版の「マルシュ・オマージュ」がある。秋山邦晴『昭和の作曲家たち』の菅原明朗インタビューだったかで傑作だと言われていたので心して聴いたが……普通の行進曲だこれ!

とはいえ先の実用マーチとは異なり、構成の面でも主題の面でもより凝っている。ファンファーレ調の第1主題と五音音階を使った歌謡的な第2主題を繰り返した後トリオに入り、舞曲風のリズムに乗って第2主題の変形が歌われる。第1、第2主題が再帰すると、コラール風の第2のトリオが現れ、最後にもう一度第1、第2主題で締める。

当時の解説では「行進のための曲ではなく、描写曲に近いもので、皇室の御慶事を寿ぐ人民歓喜の情を日本風の旋律と劇的な曲想で表現し、あるいは舞踏のリズムをもって表現する」(『作曲家大沼哲の生涯』、p.244~245)ということである。

有り体にいうと、これは大正時代の「祝典行進曲」(暖伊玖磨)なのだろうと思う。

第一前奏曲(1924)

マンドリンオーケストラの曲を吹奏楽に編曲したもの。旋法的なメロディーを各楽器が歌い呼び交わし、ドラマティックな全奏がそれに続くという流れが幾度か繰り返される。元の楽器のせいなのか、どことなくレスピーギなど近代イタリア音楽っぽい響きで、これまでのマーチとまったく違った大沼の一面がうかがえる。

奉祝前奏曲(1924)

皇太子御成婚のための祝宴曲。このCDの中では一番本格的な楽曲といえる。

変則的なソナタ形式をとっていて、厳粛な序奏から次第に気品のある第1主題が姿を現し、やがて三連符を伴う勇壮な変奏に移っていく。賛美歌風の優しい第2主題が続き、舞踏的な第3主題も登場する。ドラムロールとともに急速なパッセージで展開部が始まる。第1主題が展開された後、ややそのままの第2主題、さらに新しくこれもまた舞曲風の第4主題が追加される。再現部では第1、第2主題に続いて祝砲を思わせる大太鼓が響き、最後に「君が代」の「千代に八千代に」の部分が引用されて盛大なフィナーレを迎える。

ふたたび当時の解説を引くと「曲の初めの静かな部分は、御婚約を拝聞した国民の心中の喜悦を表現したもので、此処に出る第一主題は次第に強調され、御成婚を祝賀する国民の誠の声であり、第二主題が続き、次に出る第三主題を国民の歓呼とすれば舞曲風の第四主題は国民の欣喜雀躍を示すものと解されるであろう。やがて第一主題は再び現れ、最後に国歌の一節を以て、(中略)全曲を終る敬虔な曲である」(前掲書、p.252)ちょっと題材に引き寄せすぎな解釈の気もするが、大筋をよく解説している。

独自の試行錯誤はみられるもののソナタ形式を採用し、オーケストレーションも典雅で、この時代これだけ整った曲を曲がりなりに書けたのはやはり凄いことだと思う。祝宴曲という性質もあるのだろうが、「君が代」を引用するところとかはやはり山田と通底する感性があり、山田の同時代の曲(「明治頌歌」が1921年)と比べてみるのも面白いと思った。

ただ響きに印象派以降の陰影はみられず、フランス派とはいいながらあくまでフランキストやサン=サーンスら19世紀のフランス音楽の流れに留まっているのかなと思った。それはそれで邦人作曲家としては珍しいが。

入手可能なのはこれだけと先に書いたが、この他に『大沼哲の生涯』の著者の私家版のCDが存在し、そちらには管弦楽版の「マルシュ・オマージュ」や留学後の管弦楽作品「昭和礼賛序曲」も入っているらしい。何とか手に入れる方法はないかと思うのだが。

宮内孝子『作曲家大沼哲の生涯』

山田耕筰に続いて、同じく日本最初期の作曲家・大沼哲の伝記を読んだ。山田に比べて知名度の低い大沼だが、ほぼ山田の独壇場だった大正時代のクラシック作曲界において数少ない山田のライバル的存在だった。もっとも後述の通り、本書におけるライバル的描写については一考の余地があるが。

山田の3歳年下、1889年に生まれた大沼は教師だった父親の影響で洋楽に憧れを抱き、紆余曲折の末に陸軍軍楽隊に入隊する。軍楽隊は作曲を志向する青年にとって自由な創作環境とは言いがたかったが、大沼は刻苦勉励を重ね1908年には弦楽四重奏曲「幻の城・御三階」、1913年には交響曲「平和」を完成させる。いずれも日本作曲史上最初期の弦楽四重奏曲交響曲であり、時期的には山田とタッチの差なのだが、山田ほどに処世術も巧みでなく、周囲の理解者も少なかった大沼の交響曲が演奏されたのは結局10年後、1923年になってからだった。

一方、大沼は若い頃に堀内という少年の家庭教師になる。この堀内はもちろん後に音楽評論家となった堀内敬三であり、堀内と末永い友情を築いた大沼は堀内をはじめ野村光一や大田黒元雄らディレッタントの音楽青年たちが主導する大正期の音楽運動の中心人物の一人となる。また、大沼塾という作曲の私塾を開き、その門下からは菅原明朗やのちには平尾貴志男ら日本のフランス派作曲家が誕生している。

大沼の作曲家としての最盛期は宮内庁から皇太子御成婚のための奉祝曲を依頼された1924年から1925〜26年のスコラ・カントルム音楽院への留学をはさんだ1929年ごろまでらしく、この間には式典用の曲に加え、第2の交響曲夕映え—洋上にて」、ピアノ・ソナタ、チェロ協奏曲、ピアノ協奏曲などこの時期の作曲家としては珍しく絶対音楽が多数書かれている。大沼の不幸は軍部の意向によってこれらの作品の多くは演奏機会を得られず、また楽譜も接収され戦中の混乱の中に失われてしまったことである。数少ない理解者だったという新交響楽団の指揮者ヨーゼフ・ケーニヒも1929年に強制送還させられ、大沼自身も最愛の妻の死から作曲家としての筆を折ってしまう。やがて太平洋戦争が始まり、軍楽隊隊長として南方に派遣された大沼は1944年に戦死する。

晩年の不幸はさておき、本書の中心となるのは少年期から青年期にかけての大沼と、その背景となる大正から昭和初期にかけての日本の洋楽の発展である。少年期の方はいかにも明治の立志伝という感じの泣かせるエピソードが並んでいるのだが、青年期の堀内との友情、また堀内周辺の音楽青年たちのサロンの話は意外にも豊かな大正期の洋楽事情をのぞかせて興味深い。

さて本書で一番関心を惹き、かつ引っかかる点は山田耕筰との関係である。その立ち位置といい実績といい大正期における山田のライバル的存在だったことは間違いないが、一方で本書の山田の書き方はあまりに大沼を意識しすぎていて妙なことになっている。例えば山田が1914年に帰国を決意したのは大沼の交響曲が完成間近と聞いたからだとか(p.158)、「かちどきと平和」という名前は大沼に対しての勝利宣言だとか(p.166)、皇太子御成婚の祝宴曲を大沼に取られた対抗意識から日本交響楽協会を結成したとか(p.219)、こうした山田のかんしゃくを毎度大沼が大人の態度で受け流す流れなのだが、あまりに戯画的すぎるし、既存の山田研究での因果関係から乖離しすぎている。著者は大沼の実娘であり、堀内や近衛秀麿といった両者をよく知る人々とも懇意だったということなので、これが本当だった可能性も否定できないものの、両者を取り巻く噂・ゴシップの一部だったと考えた方がしっくりくる。

以下、個別メモ。

  • 大沼はアテネ・フランセ創始者であるジョゼフ・コットからフランス語を学び、同時にフランス音楽への憧れを抱いた。大沼のフランス語はフランス政府からバカロレアを取得するほど本格的なもので、後年ケーニヒと初めて会った際もフランス語を流暢に話せることで親交が深まったとか。

  • 大沼がラヴェルドビュッシーといったフランス近代音楽には触れていたことを考えると、日本のフランス派の源流は菅原明朗ではなく大沼あたりになりそうなものだが、その辺どうなのだろう? 大沼の存在が忘却されているのか、他に理由があるのか。

  • 1923年、10年越しで大沼の初の交響曲「平和」が陸軍軍楽隊オーケストラによって演奏されるが、演奏の一月前に関東大震災が発生、楽譜はすべて焼失する。しかし全楽員が暗譜できるまでに練習を積んでいたため、最初で最後の演奏会は予定通り開催され、被災した聴衆に感動を与えたという。ちょっと出来すぎの感があるエピソードだ。

  • 同じく1923年に宮内省から皇太子(後の昭和天皇)婚礼の祝宴曲を依頼される。大沼を選んだのは当時の宮内省楽部長の東儀哲三郎ということだが、山田でなかったのは東京フィルハーモニー会のゴタゴタが念頭にあったのだろうか。

  • 宮内省の依頼あってか、皇室と大沼は縁があった。自作奏上の機会以外にも、北白川宮(永久王)、東伏見宮(邦英王)といった洋楽好きの皇族にしばしば招かれていたという。

  • スコラ・カントルム音楽院卒業後の作品の多くが所在不明なのがなんとも悔やまれる。そのうち、交響曲ピアノソナタも気になるが、1928年のチェロ協奏曲はおそらく日本最初のチェロ協奏曲と思われる。

アルトリア・ペンドラゴン、マーリン

世間の流行りということでFGOをポチポチ遊んでいるが、世界の神話やら伝説やらが集うこのゲームは、クラシック音楽の題材とも近しいのではないかとふと思った。そこで、サーヴァントを扱った、あるいは関連する題材の曲を探して取り上げてみたい。

最初はFateの顔であり、あと一番探すのが簡単そうなアーサー王ことアルトリア・ペンドラゴン。案の定、アーサー王伝説は様々な音楽、とりわけオペラの題材として扱われており、その一例はWikipediaこの記事 にまとまっている。 今回はその中でも年代的に初期の作品、ヘンリー・パーセルのオペラ「King Arthur」(1691)。

Purcell: King Arthur

Purcell: King Arthur

詩人ジョン・ドライデンの台本によるもので、ブリテンアーサー王がサクソン王オズワルドから婚約者エメリン姫を取り返すというストーリー。円卓の騎士は登場しないが、なぜかマーリンは登場する。恥ずかしながらクラシックの歌やオペラにはだいぶ疎いのだが、パーセルの音楽はバロック的な重厚さが控えめな一方で透明感と高貴さがあり、中世騎士物語の雰囲気にぴったりだと思う。特に第5幕の"Trumpet tune No.1"が武骨さの中に華があって好きだ。

あと余談として、マイケル・ナイマングリーナウェイ映画のサウンドトラックの元ネタだと知ってちょっと嬉しい。第3幕の"What ho! Thou genius of this isle"の出だしは「英国式庭園殺人事件」の「羊飼いにまかせとけ」によく似ている。その次の"What power art thou," は「コックと泥棒、その妻と愛人」の「メモリアル」の元ネタらしいが、これは後で確認。

The Essential Michael Nyman Band

The Essential Michael Nyman Band